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なぜ百合ヶ丘だったかというと、父の通勤にそこそこ便利だったうえ、姉一家(私の伯母ですね)が住んでいたことが、大きかったように思います。 母は男兄弟3人に囲まれて育ったため、「お姉さん」という存在が憧れだったと、よく言っていて、この伯母とは昔から大変仲良く、実際の姉妹以上に親しかったのです。 そして、母はピアノを弾くことへの憧れが強く、大人になってから独学で弾いておりましたが、幸か不幸かこの伯母は昔小学校の音楽の先生で・・・。 なぜか、私が強制的に伯母から週1回、なんと無料でレッスンを受けることになり。(>し<)/ (姉は小さいころからヤマハに通っていたので、すでにピアノは卒業していたのでした) なにかを強いられる、ということが大嫌いだった私は、このレッスンが実は苦痛で仕方なく、練習もろくにしないし、集中しないし、全然上達しないし。きっとかなり不機嫌だったでしょうし、本当にイヤーーーーな教え子だったと思います。(・し・;)A それでも、明るく元気に、時に厳しく伯母は根気強く教えてくれました。 ピアノの先生としては、苦手(?)でしたが、本当に優しくて楽しくて、大好きな伯母でした。 あぁ、なんて懐かしい子供時代・・・。 その伯母との急なお別れのため、両親も今上京して伯母宅に滞在中でした。 そして、私はみなさんに、元気の出るエッグカレーを振る舞うため、今日は出張かるかったかふぇ、してきました。 軽く20年は来ていなかった百合ヶ丘。 こんな街だっただろうか?と、きょとんとしながら、迎えに来てくれた母と買い物をして、バスで伯母の家へ。 ご近所に住む、従妹の家族分も含めたっぷりのエッグカレーを作りました。 スペシャルの、ジンジャーチャイもたっぷり。 赤玉ねぎとキュウリのライタもたっぷり。 伯母とのお別れをして、久々に伯母の家から、徒歩5分の私が子供のころ住んでいた家の前を通って、たっぷり20分ほどかけて、一人でとことこ百合ヶ丘の駅へ。 高石というその住所は、分かりやすく、高台になっていて、山あり谷ありで、道も狭いし、車も自転車も大変なエリア。でも、下手したらうちの実家以上に緑が多くて、静かでとてものんびりとしているかもしれません。コンビニどころか、お店なんかも全然ないし。。。 なんだか、本当に変わってない(・し・)A しみじみと、懐かしく感じながら、この街を後にしました。 関係あるのかないのか、、、なんとなくシンクロしたのは。 伯母の誕生日は6月6日でした。 亡くなったのは3日。伯父はふざけて、年取りたくなかったんじゃないの?と少し寂しげに笑っていました。母は、享年も若い方が良かったんですかねぇ、なんて。 ふと閃いて、叔母宅に差し入れに買っていったのが、FROのプリンタルトでしたが、なんと伯母の好物だったそうです。従妹の長女も、「どうしておばあちゃんの好きなの、分かったの?」とびっくりしたとか。 直感が今、冴えているのかもしれないですね。 今朝、なぜか突然ひらめいて、無用の長物になっていたインド楽器、シタールをどうしても手放したくなり。 粗大ごみで出そうかな、、、でも、それも寂しいし、、、と思っていたらリサイクルの業者の車が通りかかり、発作的に呼び止めて、まずは見積もり、と思っていたら、その業者のおじさん、シタールに興味津津。 「この弦は本来何本あるものなんですか?」 と。 「1本切れていて、本来は7本です。楽器興味あるんですか? まったく調律はしてないですが、壊れてはいないので、まだまだ使えると思いますよ。」 と言ったら、言葉少なく、壊れかかったケースごと、無料でもらっていってくれました。 なんだか、ホッとしたし、すっきりしたし、楽器全般興味がある、と言ってたので嬉しかったです。大事に手入れして、どうにかしてくれそうでした。 インドから、苦労して連れ帰ったシタール、やっぱり粗大ゴミに出すのはつらいですものね。 これも、関係あるのかないのか分からないですが、「大切な(人、もの)とお別れ」という行為としては、シンクロした1日だったような気がします。 とても、エネルギーがいることですが、やっぱりきちんとそれができると、本当にどこか満たされた気持にもなりました。長い長い1日でした。
by new-calcutta
| 2009-06-07 23:54
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